日本人と箸
世界中で、箸を使うのは約32億人いると言われています。
これは地球上の全人口の約30%にあたります。
ちなみに、世界の食事方法で一番多いのは手食で、全人口の約40%(40億人程度)。
スプーン・フォーク・ナイフが箸と同じく約30%(32億人程度)。
その32億人いる箸食の中で、日本人は1億2000万人。
これは箸食の中でもわずかに3.7%なのですが、箸へのこだわりが強いのもこの3.7%の日本人です。
長さから、太さ、重さ、材質、形状、色・・・。
ここには百人百様のこだわりがあります。
実はそれには理由があります。
これから日本人と箸のかかわりをその歴史とともにご説明します。
1.箸に始まり、箸に終わる
日本では人生を「箸に始まり、箸に終わる」と例えられるほど、箸は日本人と密接に関係していて、人生の節目には必ず箸が関係する行事があります。
例えば「お食い初め」。
これは生後100日に行なわれる行事で、「百日祝い」とも言われています。
「早くごはんが食べられるようになって欲しい。将来食べるものに不自由しないように育ってほしい」という願いを込めて、小さな飯椀、汁椀、そして箸を揃えた「膳」を用意して祝います。
もちろん生後100日の子供がご飯を食べられるはずもなく、箸で食べる真似をさせるだけの儀式なのですが、かつては親族がみんな集まって祝う大切な行事でした。
現在ではお食い初めのための箸も販売されていますが、基本的には祝い箸を使います。
祝い箸は、成人式や結婚式、正月など祝いの席に登場する両端が細くなった白い箸で、かつては柳の木が使われていました。
柳の材は日本の神道における清浄の色である白であり、かつ祝いの席で折れてしまっては縁起が悪いので折れづらく、そして、春になって一番に芽吹く木であることから選ばれました。
現在は材の確保が難しいことから、柳同様に白く折れづらい水木(みずき)が使われており、これが正式とされています。
今でも祝箸は柳箸という名で販売されたりもしていますが、実際に使用されているのは水木です。
ただし、そのほとんどは輸入材で国産水木はごくわずかにしか流通していません。
はし藤本店でも残念ながら輸入材の水木です。
最近では国産の桧を使った祝い箸も多く販売されるようになりました。
正式だけど輸入材の水木か、正式ではないものの国産材の桧か、どちらを推すかは私たちも悩ましいところです。
祝い箸
この祝い箸(両口箸)は24cmが決まりで、末広がりの八寸(1寸≒3.03cm)になっています。
なぜ両方が細くなっているかというと、片側は人間(自分)が食べるのに使い、もう片方は神様が食べるのに使うためとされていて、これを「神人共食(しんじんきょうしょく)」といいます。
祝い箸は中央のふくらみを米俵に見立て、五穀豊穣の願いを込めて「俵箸(たわらばし)」や、子孫繁栄の願いを込めて「はらみ箸」などとも呼ばれています。
かつては各家庭で、家長が手作りで栗の木や三葉空木(みつばうつぎ)などの木で、正月用の箸を作っていました。
一般家庭における祝い箸は、神事にかかる清浄の色である「白」の柳の木よりも、五穀豊穣や子孫繁栄の願いが強かったのか、現在の祝い箸の形よりかなり中央のふくらみが太い「俵箸」「はらみ箸」と呼ぶほうがふさわしい形のものを作っていました。
古くから日本人は何か行事があるごとに、自然の営みへの感謝のしるしとして意識的に箸を普段のものとは違う特別なものを使っていたのです。
これらの習慣は1970年代くらいまでは残っている場所もあったようですが、スーパーでも簡単に祝い箸が手に入るようになってからはだんだんと姿を消してしまったようです。
ちなみに高級店などで見られる、杉などで作られた利久(らんちゅう)箸は千利休が茶懐石において、それまで煮物と生もので箸を分けて使われていたのを、どちらも一度に使えるようにと両端を細く削った箸が元で、形は似ていますが、祝い箸とその成り立ちは異なります。
そして人生の最後。
亡くなった方の枕元には、その方が生前愛用していた飯椀にごはんを山盛りにして箸を立てる「枕飯(まくらめし)」が供えられます。
火葬後にはお骨を二人で箸で拾い上げて骨壺に収める「骨上げ(こつあげ)」があります。
この儀式は「はしわたし」とも呼ばれ、お骨上げをする二人が悲しみを共にし、故人が無事に三途の川を渡れますようにという祈りが込められています。
このように、日本人の人生には必ず箸に関わる行事や儀式があり、箸はただの「道具」の域をはるかに超えているのです。
2.神様と魂と箸
神事と箸は祝い箸の説明でもしたように太古の昔から関わりがありました。
これはそもそもの箸の語源にも関わる部分です。
箸の語源には諸説あって、現在でも定かではありません。
・古く神事に使われていたとされる箸がピンセット型で、それが鳥のくちばしに似ているから
・祝い箸や骨上げの儀式でもあった「橋渡し」の意味から
・2本立った柱から
よくいわれているのは最初の2つなのですが、はし藤本店的には3つ目の「2本立った柱から」の説が面白いなと思っています。
長野県の諏訪大社は神殿を持たない神社なのですが、四方に柱を立てて、その内側が神域だといわれています。
奈良県の大神神社(おおみわじんじゃ)には2本の柱が立っていてその先の山が神域とされています。
2本の柱が建つ奈良県の大神(おおみわ)神社
いわゆる「結界(けっかい)」というやつです。
多くの神社にある「鳥居」もこの結界の意味を持っていて、神域と俗世間を分ける境目になっています。
結界は仏教用語なので、大和言葉では「端境(はざかい)」や「境(さかい)」です。
神聖な場所(神域)と、人々が暮らす外側の場所(俗世間)の境界を表しています。
ではなぜ、これを箸の語源だと考えるのか。
箸で食事をする国は日本以外にもあります。
中国と韓国、そしてベトナム、シンガポール、タイです。
しかし、これらの国と日本では箸への捉え方が決定的に違う点があります。
それは、箸のセッティングの仕方。
日本では食べ物と自分の間に横向きで置きます。
でもその他の国はみんなそれ以外のカトラリーとともに縦に置かれます。
つまり、これこそが結界(端境)。
日本だけが箸の捉え方がカトラリーとは異なるのです。
「いただきます」は神様への感謝の言葉です。
「いただき」は山の頂きなどと同じ一番上という意味。
神様への感謝を込めて「食べ物を頭上に掲げる」ということなのです。
そして、神様からの恵みである食べ物と俗世間である自分を分ける境目が箸なんです。
また、大和言葉では柱(はしら)も橋(はし)も箸(はし)も同じ語源を持ちます。
どうですか?柱が語源という説。
鳥の嘴からという説も、橋渡しの意味という説も全部正しいのかもしれませんが。
でも箸の神様との関りという部分についてはご理解いただけたかと思います。
ちなみに、「いただきます」に対して、食事を終えるときのあいさつ「ごちそうさま」ですが、こちらは漢字だと「ご馳走様」と書きます。
「馳」は馬を走らす、「走」は自ら走る、という意味で、走り回って食材を調達し調理をし、食事の準備をするさまを表しています。
「ごちそうさま」は食材が料理になるまでに関わったすべての「人」への感謝の言葉なのです。
神様への感謝に始まり、人への感謝で終わる。
箸が神様と私たちの架け橋になっていると思いませんか?
最後に、箸には使う人の魂が宿ると言われています。
箸以外であっても、「道具にはその人の魂が宿る」とは今でもよく言われます。
日本では外食以外は自分専用の箸を使います。
しかし、日本以外の国では専用ではありません。
これは平安時代からすでにあった考え方で、魂が宿るということは、すなわち穢れて(けがれて)しまうということ。
神様との架け橋である箸が、俗世間の自分が使うことで穢れてしまうと考えた平安貴族たちは、食事のたびにその箸を折っていました。
それは外出先でも同様で、道中で食事をするために木の枝を折って箸を作り食事をし、その箸を折って土に刺していました。
その箸のところから木が生えて大木になったという伝承や、箸折という地名などは現在でも残っています。
前述した祝い箸も普段使いはしませんし、俵箸やはらみ箸も必ず燃やしていました。
これは不要なゴミの焼却という意味ではなく、火による浄化の意味です。
こうして、箸は自分だけの専用のものとして、庶民にも広まっていきました。
だから現在でも、お父さんが娘の箸を誤って使おうものなら、その穢れは平安時代のそれとは比べ物にならず、神の逆鱗にでも触れたかのような大変な事態になってしまうのです。。
このように、日本人は箸を自分だけの特別なものとして捉え、毎日使う道具として以上の感情を持ってこだわって選び使っているのです。
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